実家の箪笥の奥に、古びた桐の箱があった。中には、母が若い頃に使ったという黒いレースのベールが入っていた。それを使う日がこれほど早く来るとは思っていなかった。大好きだった祖母が急に旅立った時、私は深い混乱の中にいた。通夜が終わり、葬儀の朝を迎えても、現実を受け入れられずにいた私の目に留まったのが、あの箱だった。母は「これを使いなさい」と、静かに私に差し出した。鏡の前で帽子を被り、慎重にベールを顔の前に下ろした。その瞬間、世界の色が変わり、私の周囲にだけ静寂が訪れた。式場に向かう車の中でも、私はベール越しに流れる景色を眺めていた。道行く人々が私たちの車を見て会釈をする。ベールを纏っていることで、自分が今「喪に服している特別な存在」であることを強く自覚させられた。葬儀が始まり、祖母の遺影と向き合ったとき、私の目からは堰を切ったように涙が溢れ出した。しかし、ベールがその涙を遮ってくれた。誰にも見られず、私は思う存分泣くことができた。鼻をすする音さえ、広い式場ではレースのカーテンに吸い込まれていくように感じられた。祖母は生前、凛とした女性だった。「どんな時も身だしなみを整えなさい」というのが口癖だった彼女の教えを、私はこのベールを通じて守っているような気がした。最後のお別れで花を棺に入れるとき、ベールの影から見た祖母の顔は、今までで一番穏やかで、まるで眠っているだけのようだった。私はベールの端を指で少し持ち上げ、祖母の頬に最後の手を触れた。冷たい感触と、レースの柔らかい感触が混ざり合い、それが私にとっての最後の挨拶となった。火葬場の煙を見上げるときも、私はベールを脱がなかった。空の青さがレース越しに深い灰色に見え、それが私の心象風景と完璧に重なっていたからだ。葬儀が終わり、家に戻ってベールを外したとき、私は自分が一回り大人になったような気がした。悲しみは消えないけれど、ベールが私に与えてくれた「守られている感覚」が、私の中に小さな勇気を灯してくれた。あの黒いレースは、今では私の大切な宝物だ。いつかまた、誰かを見送る日が来たら、私は再びこのベールを纏い、静かに涙を流すだろう。それは死という別れを乗り越えるための、私なりの儀式なのだ。
祖母の葬儀で初めて手にした黒いレースのベール