父の葬儀から10日後、私はようやく自分の家のリビングで1人、温かいお茶を飲む時間を持ちました。葬儀当日から初七日までは、弔問客の対応や親戚とのやり取りに追われ、自分の感情を整理する余裕など1分もありませんでした。しかし、葬儀から10日という月日が流れると、あんなに頻繁に鳴っていた電話も静かになり、玄関のチャイムが鳴ることも少なくなります。この「急に訪れる静寂」こそが、本当の喪失感の始まりなのだと、私はこの日初めて実感しました。10日前、あんなに多くの人に囲まれて送り出した父が、もうこの世にはいないという事実が、空になった父の座椅子を通じて重くのしかかってきます。葬儀10日後という時期は、周囲の人々が「日常」に戻っていく中で、遺族だけが「非日常」に取り残されたような感覚に陥りやすい時期でもあります。私はこの日、父が愛用していた眼鏡や時計を手に取りました。10日前には触れることさえ辛かった遺品たちが、今は少しだけ温かく、父の生きた証として愛おしく感じられます。10日という時間は、激しい悲しみを穏やかな寂しさへと変える、最初の魔法の期間なのかもしれません。私はこの静寂を、ただ悲しむための時間ではなく、父と自分との関係を再構築するための時間として捉えようと決めました。葬儀10日後にして初めて、私は父に宛てて手紙を書きました。生前には照れくさくて言えなかった感謝の言葉、そして葬儀の時に見てほしかった立派な花のこと。1枚の便箋を埋めていくうちに、私の心の中のトゲが少しずつ丸くなっていくのを感じました。世間では、10日も経てば仕事に戻り、普通に生活することが求められますが、心の中ではまだ10日しか経っていないのです。このギャップに苦しむ必要はない、自分なりのペースで悲しみと付き合っていけば良いのだと、静かな部屋で確信しました。葬儀10日後は、儀式としての弔いから、個人としての弔いへと移り変わる、とても繊細で大切な時間なのです。私は明日から、少しずつ父のいない日常を歩み始めます。
葬儀の10日後に訪れた静寂と向き合う時間