葬儀から10日という月日が経過した朝、私はふと、駅に向かう人々の足音の速さに驚きました。10日前、世界が止まってしまったかのように感じていた私とは対照的に、世間は何事もなかったかのように10日分の進歩を遂げています。葬儀10日後というのは、こうした「世間のスピード」と「自分の心のスピード」のズレに最も戸惑う時期です。仕事に復帰した10日目、デスクの上に積まれた10日分の未読メールを見て、私は自分がどれだけ長い間、別世界にいたのかを痛感しました。でも、この10日間のブランクを埋める作業を通じて、私は少しずつ日常への接点を取り戻していきました。葬儀10日後にして初めて、私は「次に何を食べるか」「明日は何を着るか」という、自分自身の生に関わる選択を意識的に行うようになりました。10日前は、出されたものを食べ、言われた服を着るだけの人形のような状態でした。しかし、10日という時間は、生命の持つ生存本能を呼び覚まします。新しい生活、それは故人のいない生活の始まりです。10日後の私は、スーパーで故人の好きだった果物を手に取り、一瞬迷ってから、あえてそれをカゴに入れました。10日前なら泣き崩れていたはずのその動作が、今は「思い出を噛み締める」という前向きな行為に変わっています。10日後の気づきは、日常とは「繰り返される小さな儀式の積み重ね」であるということです。朝のコーヒーを淹れる、窓を開けて空気を入れ替える。こうした10日前から続く動作の1つ1つが、私を新しい生活へと繋ぎ止めてくれます。葬儀から10日後。100%の回復などありえませんが、10%だけ、未来を直視できるようになりました。10日目の夜、私は10日ぶりに日記をつけました。そこには、悲しみではなく、今日出会った人々の優しさが綴られていました。10日という時間は、どん底の淵から這い上がり、新しい景色の色を識別し始めるために、天が与えてくれた最低限の猶予期間なのかもしれません。10日後の私は、10日前の私よりも、少しだけ強く、そして優しくなっています。