三年前に父を亡くした時、私たちは昔ながらの、通夜と告別式を二日間にわたって行う葬儀を執り行いました。遠方からも多くの親戚や父の友人が駆けつけてくれ、賑やかに父を送り出すことができましたが、喪主を務めた母の疲労は見ていて痛々しいほどでした。高齢の母は、ひっきりなしに訪れる弔問客への挨拶と気遣いに追われ、父の死を悲しむ暇さえなかったように見えました。その母が、先月、父の元へと旅立ちました。生前の母は、自分の葬儀について「残された人に迷惑をかけたくない。こぢんまりと、静かに送ってくれればそれでいい」と、常々口にしていました。父の葬儀での経験から、私は母のその言葉の重みを痛いほど理解していました。そこで、私は兄と相談し、母の葬儀を「一日葬」で執り行うことに決めたのです。通夜を行わず、告別式から火葬までを一日で済ませるこの形式なら、母の遺志に沿うことができるし、何より参列してくださる親戚たちの負担も減らせるだろうと考えたからです。親戚の中には、通夜がないことを寂しがる声もありましたが、母の遺志であること、そして父の葬儀での経験を丁寧に説明すると、皆納得してくれました。告別式の当日、集まったのはごく近しい親族だけでした。弔問対応に追われることがないため、私たちは式の始まる前の時間を、母の眠る棺のそばで、ゆっくりと過ごすことができました。母の好きだった花を飾り、生前の思い出話を語り合う。その穏やかな時間は、父の時にはなかった、かけがえのないものでした。告別式も、温かい雰囲気の中で滞りなく進みました。一日で全てが終わるため、遠方から来た叔母も、その日のうちに自宅へ帰ることができました。葬儀を終えて、私は心から一日葬を選んで良かったと感じています。もちろん、通夜があれば、もっと多くの友人が母に会いに来てくれたかもしれません。しかし、母が望んだであろう、家族だけで静かに、そして温かく見送るという、最も大切なことを実現できたからです。葬儀の形に、決まった正解はありません。故人の遺志と、残された家族の想い。その二つに誠実に向き合うことこそが、最高のお見送りになるのだと、母が最後に教えてくれたような気がします。